長徳寺の由来
長徳寺は、長徳年間(鎌倉時代・995~999年)に創建した臨済宗建長寺派のお寺です。寺号は玉雲山となります。本尊は十一面観音菩薩と脇立像(不動明王・多聞天王)であり、本寺広徳寺(あきる野市)の末寺(十九ケ寺)の一つです
臨済宗は臨済義玄禅師を宗祖とする宗派です。その中でも建長寺派は、建長5年(1253年)に鎌倉幕府五代執権・北条時頼公が蘭渓道隆を招き開山、鎌倉の建長寺を本山としています。長徳寺二世、三世和尚の頃、土地の豪族や北条氏から多大な助力がありました。北条氏の滅亡した1590年からは衰退の一途をたどりました。その後、延宝6年(1678年)の頃、諸堂が再興されましたが、寛政元年(1789年)に火災で灰燼となってしまいます。今殿新築のために取り壊された本堂は文化9年(1812年)に復旧したものです
十八世巨量和尚は、優れた漢学者でもあり、明治6年(1873年)に福生一小の前身である福生学舎を開き、漢字を中心に教えられていました。二十世寛堂和尚は昭和27年(1952年)に、曹洞宗管長高階瓏仙禅師を大導師に迎え、世界仏教徒歓迎花火大会を開いた折、万国戦死者の慰霊祭を執行しています。二十一世亮堂和尚は平成4年から8年(1992~1996年)には本堂並びに堂宇一切が新築されました。また、平成8年11月4日には大本山建長寺管長吉田正道老大師猊下を迎え、落慶法要の儀式を盛大に挙行することができました。寺内には、村内から出土した板碑(いたび)が21基残されており、建武(1334~37年)、貞和(1345~49年)、延文(1356~59年)、応安(1368~75)などの元号が刻まれ、とくに私年号「福徳」の銘があるなど、いずれも貴重な歴史的遺物がございます。また、天保15年(1844年)に補修された「大涅槃(ねはん)図」を寺宝として受け継がれています
長沢薬師堂の由来
昔から、身近にいる「薬師さま」として人々に慕われてきた長沢薬師堂は、諸病厄除けの拠り所として広く庶民の進行を集めてきました。とくに眼病に霊験あらかたなることが広く知れ渡り、遠方からの参詣者も多くあります。荘厳にして優雅な八角のお堂には、東方瑠璃光薬師如来(とうほうるりこうやくしにょらい)を、脇待に日光菩薩、月光菩薩が祀られています。さらに、薬師如来に従い世界を守護する神々の十二神将(十二支と結び付けられ、方位や時刻の護法神)が祀られてます。日夜衆生の苦労を救わんと鎮座されています
鎌倉時代に創建された説もある薬師堂は、1731年の江戸の中期に二間半四方の御堂を建立し、幾度の補修が施されつつ、今日までに290年余りの歴史を持つ由緒ある御堂です。当堂の縁日は毎年9月19日でです。平成17年に損傷が顕著となったことから、薬師堂本来の姿を復元すべく無事に落慶し、装いも新たな御堂となりました